大蔵谷ヒューマンサイエンスカフェ2025「「喜春城」へようこそ―明石城をうたう文学―」が開催されました

 2025年6月14日(土)、あかし市民図書館において人文学部の中村健史准教授が「「喜春城」へようこそ―明石城をうたう文学―」と題して講演を行いました。この講演は地域研究センターの主催する大蔵谷ヒューマンサイエンスカフェ2025の一環として、あかし市民図書館との共催で実施されたものです。

 明石城には古くから「喜春城」という雅称があり、江戸時代の儒者・片山兼山が命名したものと伝えられてきました。中村准教授は『2024年度神戸学院大学地域研究センター活動・研究報告書』(2025年2月)に発表した論考をもとに、こうした伝承が橋本海関『明石名勝古事談』の記述に基づくこと、また1680年に刊行された『扶桑名勝詩集』にはすでに「播州明石城十境」として「喜春城」の文字が見えることなどを指摘。片山兼山が1730年生まれであることを考えれば、喜春城の命名者と見なすことはできず、『扶桑名勝詩集』に書かれた「兼山」という作者名を橋本海関が誤認したのではないか、という仮説を紹介しました。

 江戸のはじめには「八景詩」「十境詩」などと称し、いくつかの景色をまとめて鑑賞のためのリストを作成し、詩歌を添えることが流行しました。『扶桑名勝詩集』は各地で作られた「八景詩」「十境詩」を集めたもので、兼山作「播州明石城十境」も明石城が築城された1619年から、同書が刊行された1680年までのどこかの時点で製作されたものと考えられます。

 「播州明石城十境」の冒頭には、「喜春城」と題して「城 高くして 春水 深く、佳木 清陰を卜(ぼく)す。すでに陽和の動きてより、さらに寒気の侵(おか)すなし」(城は佳木の陰にあって高々とそびえ、(堀の)水かさも増した。いったん春の気が動きはじめると、少しも寒さを感じることはない」という詩が置かれています。「喜春城」とは播磨南部の海際に位置し、比較的温暖な気候にめぐまれた明石の地を讃えた表現だったのではないでしょうか。

 このほか「播州明石城十境」のなかには、明石城内の東北に位置し、現在でも市民の憩いの場として親しまれている剛の池を詠んだ作品(「緑竹塢」「迎涼池」)や、城内に作られた瓜畑を玄宗皇帝の故事になぞらえる作品(「進瓜園」)、堀の一角に作られたと思しき水車を取りあげた作品(「載月車」)などバリエーションに富んだ漢詩が見られます。喜春城、芳草塘、緑竹塢、迎涼池、雲竜堂、進瓜園、観魚橋、載月車、鶴舞峰、含雪軒の10ヶ所を城内の「ビューポイント」として選んだのが、「播州明石城十境」だったのです。

 1時間半に及ぶ長い講演でしたが、参加者の方々は大変熱心に聴講され、講演後の質疑応答も活発に行われました。あかし市民図書館によれば中村准教授の講演会は人気が高く、今回も30人の定員が予約開始3時間程度で満席になったとのことです。

 地域研究センターでは、7月5日(土)にも中村准教授による講演会を予定しています(下記参照)。また8月以降も所属教員による多くの講演会やワークショップを企画していますので(下記参照)、ぜひご参加ください。

(掲載した写真はいずれも本学矢嶋巌教授撮影)

※関連する記事が下記のサイトにも掲載されているのでご覧ください。

人文学部ウェブサイト  https://kobegakuin-human.jp/news_topics/lecture_nakamura_202506/

神戸学院大学ウェブサイト  https://www.kobegakuin.ac.jp/education/faculty_humanities/news/2e46eca3b0e92f1c23ca.html

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