『源氏物語』須磨巻で、朧月夜との密通があらわれ須磨に退去した光源氏は、三月上巳の日、高潮によって仮住まいを失い、明石の入道の勧めるまま、居を明石に移します。明石巻では並ぶ者のない入道の権勢が描かれ、光源氏を「浜の館」に迎え取り、「岡辺の宿」に住む娘(明石の上)のもとに通わせるさまが描かれることは、『源氏物語』の愛読者であればどなたもご存じでしょう。
明石では、江戸時代、藩主・松平忠国によって城下にある善楽寺(大観町)が「浜の館」の跡地、また7キロメートルほど離れた櫨谷町松本(神戸市西区)のあたりが「岡辺の宿」の跡地とされ、それぞれ忠国の和歌を刻んだ石碑が建てられました。
いにしへの名のみ残りて有明のあかしの上のおや住みしあと(善楽寺)
月影の光る君住む跡とへば里の館にしげる蓬生(櫨谷町松本)

のちに光源氏が月見をしたという朝顔寺(光明寺)、無量光寺、光源氏月見の松(複数候補あり)、浜の館から岡辺の宿に通った「蔦の細道」、光源氏の住んだ源氏屋敷、祈願を込めたといわれる源氏稲荷など、明石では『源氏物語』関連の遺跡が数多く作られました。近世人の想像力の豊かさが感じられます。
今回の踏査は中村准教授のほか、人文学部の白方佳果講師ら計3名で実施され、善楽寺、無量光寺、蔦の細道などを巡検した後、櫨谷町松本に移動して忠国の石碑やその周辺に地域の方々が設置された記念碑などを見学しました。

秋も暮れ方に及び、松本に到着したころには櫨谷川の西に淡く朱を流したような夕焼けの空がひろがっていました。黄金に揺らぐ稲穂のなか、ようやく見つけた石碑は、宵闇につつまれて草むらのうちにあり、いかさま光源氏が明石の上を訪れたのもこのような夕暮れであったかと思わせるだけの説得力を持っていました。
今回の調査結果は、中村准教授が担当する人文学部の講義「兵庫の文学」第8回~第11回に反映し、『源氏物語』がいかに明石の地域的伝承と結びついて変質、変容していったかを考察する予定です。人文学部における教育は、決して既知の知識・情報を伝えるだけにとどまらず、今回のように綿密な実地調査に基づき、最新の研究結果を反映して行われるものです。「地域と繋がる大学」を標榜する本学にあって、地域研究センターの活動は単に研究、地域連携のみに留まるものではなく、人文学部の教育と深く結びついていることをご理解いただければ幸いです。
