2017年11月29日(水)の18時から、第4回大蔵谷ヒューマンサイエンスカフェを開催しました。今回は「神になった人麻呂-鎌倉・室町時代の和歌秘伝」というテーマで、本学人文学部准教授の中村健史が話をしました。
人丸神社の祭神として明石と深いかかわりを持つ柿本人麻呂ですが、彼が「神」に変貌してゆくなかで大きな役割をになったのは、『古今和歌集』をめぐる注釈や秘伝の数々でした。
現在、人麻呂の歌といえば「天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ」(『万葉集』巻三255)がよく知られています。しかし、平安時代には『古今和歌集』に収められた「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(羈旅409)のほうが有名でした。『万葉集』が国民的文学として尊重されるようになったのは明治以後のこと。それまでの人々は、「ほのぼのと」の歌こそが人麻呂の代表作だと考えていたのです。
平安以後、『古今集』は和歌の聖典としてひろく読まれ、 『万葉集』はもとより、『古事記』や『源氏物語』よりも格の高い作品でした。人麻呂はその『古今集』のなかで、「歌の聖(ひじり)なりける」(仮名序)と讃えられています。人々の尊敬を集めたのも当然でした。ですが、これだけでは神として祀られるのに不充分です。神であるためには、もっと神秘的な何かが必要でした。
人麻呂がどんな人生を送ったか、伝記的な事実はほとんど分かっていません。『古今集』が編集された10世紀はじめにも、事情はほぼ同じだったでしょう。けれども「歌の聖」である以上、人となりを知りたいと思うのは人情です。その期待にこたえたのが『古今集』の注釈書でした。
鎌倉時代から室町時代にかけて数多く作られた『古今集』の注釈書には、ときに読者の関心を引こうとして、奇想天外かつ荒唐無稽な解説を「創作」したものがあります。人麻呂もまた例外ではありません。住吉明神の化身としてこの世にあらわれたという説もあれば、「ほのぼのと」の歌に仏教的な意義を読みとろうとする試みもありました。歌聖の虚像はとめどなくふくれあがり、神秘的で、超常的な「神」へと成長していったのです。
当日は、寒い中11人の参加がありました。明石に縁のある有名人がテーマで、熱心に聞いていただきました。
(文責 中村健史)