2018年度第7回大蔵谷ヒューマンサイエンスカフェを開催しました。2/20

 2019年2月20日(水)、第7回大蔵谷ヒューマンサイエンスカフェ「明石原人って何?―明石人と日本の旧石器時代―」を開催しました。参加人数は地域の方が15名と、たくさんの方に集まっていただきました。

 1931年4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸において直良信夫が古い人骨の一部(寛骨)を発見しました。その後「明石原人」と呼ばれるようになるこの人骨化石は、数奇な運命をたどりました。日本列島にいつ人類が来たのかということを念頭に、この明石原人とは何だったのかを考えてみたいと思います。
 
 直良が発見した人骨化石は、東京大学の松村瞭に送られましたが、何の成果発表もないまま、直良に返却され、1945年5月25日の東京大空襲によって焼失してしまいました。その後、1947年に長谷部言人が東京大学に保管されていた石膏模型を再発見し、壮年男性の腰骨だが現代人に比べて類人猿に近い特徴があり、原人のものであるとしてNiponanthropus akashiensisと命名しました。以後、この人骨は明石原人と呼ばれるようになりました。

 明石で発見された人骨化石が「原人」であるなら、相当古い時代に人類が日本列島に来たということになります。1949年、相沢忠洋が群馬県岩宿の関東ローム層から黒曜石製の打製石器を発見し、その後の芹沢長介らの調査によって、日本における旧石器時代の存在が証明されました。日本にもかなり古い時代から人類が来ていたという可能性が高まったのです。
 
 一方、明石人骨については、1982年に遠藤萬里と馬場悠男により石膏模型の詳細な解析が行われ、「明石原人」は現代的であるとして、原人ではなく、縄文時代以降の新人であるという説が打ち出されました。その真偽を確かめるため、1985年、国立歴史民俗博物館の春成秀爾が西八木海岸で本格的な発掘調査を実施しましたが、人骨化石の発見には至りませんでした。春成らの調査によれば、明石原人が発見されたとされる西八木層Ⅳ・Ⅴ層の時期は最終氷期前葉の寒冷期から温暖期、約6~7万年前ごろと推定され、自然破砕礫が多数出ましたが、石器は1点だけしか発見されませんでした。ただひ、ハリグワ(クワ科)の樹幹を用いて、一端が尖る板状に加工した木器が出土しました。また、百々幸雄が遠藤・馬場の明石人=現代人説の検討をおこない、明石人は完新世人であり、現代の骨と考えてもおかしくないと結論されました。
 
 西八木層から出土した木器および石器の存在は、6~7万年前頃に人類がいたことを示していますが、明石人骨は新人(ホモ・サピエンス)であるとされたのです。

大蔵谷ヒューマンサイエンスカフェ18年度第7回

 人類は700万年以上前にチンパンジーとの共通祖先から分かれて、アフリカ大陸で独自の進化を始めました。200~250万年前頃に最初のホモ属が出現し、200万年前頃に最初の出アフリカ(アフリカの外へ進出)が起きました。この初期のホモ属が原人です。その後、原人は何度か出アフリカを繰り返し、ヨーロッパやアジアに拡散しました。その後、アフリカにとどまっていた原人の仲間の中から、20~30万年前頃にホモ・サピエンスが進化し、10万年前頃から出アフリカを開始しました。現在地球上にいる75億人の人間は、全てホモ・サピエンスです。

 日本列島に人類がやってきたのはいつなのでしょうか。日本は、酸性土壌の占める地域が多く、旧石器時代のような古い人類化石は溶けてしまって残りにくいようです。石灰岩土壌の沖縄では3万年以上前の人類化石が見つかっていますが、本土では2.2万年前の浜北人骨(静岡県)が最古のものです。一方、石器などを伴う旧石器時代の遺跡は国内に5,000ヵ所以上発見されています。ただし、そのほとんどが4万年前以降(後期旧石器時代)の遺跡であり、10万年前頃にアフリカを出て世界中に拡散したホモ・サピエンスが日本列島に到達したのは、4~5万年前頃だろうと推測できます。
 
 だとすれば、西八木の遺跡で発見された木器や石器には謎が残ります。もしその推定年代がもう少し遅い4~5万年前頃なら、その製作者はホモ・サピエンスであると考えられますが、年代推定に問題がないのなら、その製作者はホモ・サピエンスではない旧人の可能性もあるのです。
 
 日本国内には、少数ながら、10万年前頃にまでさかのぼる旧石器時代の遺跡が知られており、また、近年、周辺の大陸のさまざまな場所から原人や旧人段階の化石人骨が報告されています。明石人骨が「原人」でないことは明らかなようですが、日本列島にホモ・サピエンスが到達する前の前期・中期旧石器時代については、謎として残ったままです。
                            (文責 早木仁成)

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