オンラインくずし字解読講座⑤

 神戸学院大学地域研究センター明石ハウスでは、Youtube「明石ハウスチャンネル」にて「オンラインくずし字解読講座」を配信しています。第5回は、現在のひらがなを更に省略した字体を取り上げます。

紛らわしい字

 活字と違い、手書きでは字形がどうしても似てしまう、ということがあります。現在の日本語でも、例えば漢数字の「一」と長音記号の「ー」など、紛らわしい字はあります。江戸時代以前のくずし字には、更に多くの紛らわしい字形が日常的に使われていました。
 今回の動画では、比較的区別しやすい「く」と「し」について解説しています。途中で曲がっているかどうか、最後の画の方向はどちらに向いているかという、小さな違いが文字の判別に関わります。

「歌枕」としての須磨

 光源氏は、須磨での暮らしを嘆きます。その理由の1つが、「須磨はさびしい」です。もちろんここには、都に残してきた紫の上などの大切な人々を思う気持ちがあります。しかし、須磨は明石とともに、古来からの歌枕です。この「歌枕」にまつわるイメージも、光源氏のさびしさをかき立てるものとして働いています。
 最初の勅撰集であり、和歌の絶対的な聖典である『古今和歌集』は、『源氏物語』よりも古い歌集です。当時の宮中の人々が、この歌集を深く学んでいたことは、『枕草子』にも書かれています。「古今の歌二十巻を、みなうかべさせ給ふ」つまり『古今和歌集』二十巻すべての歌を暗記することが、学問として奨励されていました。
 その『古今和歌集』巻十八に、在原行平の「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ」という歌があります。「(藻)塩たる」、つまり塩を作るための藻から海水がしたたるという言葉は、掛詞から「泣く」を意味する表現として用いられていました。また、「わぶ」は「侘ぶ」、つまり侘しい暮らしをしていることを意味します。つまりこれは、須磨の浦で泣きながら侘しい暮らしをしている、という主旨の和歌です。ここから、須磨には「さびしい」というイメージが定着します。
 この歌の詞書き(前書き)には「田村の御時に、事にあたりて津の国の須磨といふところにこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける」とあります。理由は定かではありませんが、何らかの事情で都を追われ、須磨に退くことになった行平が、都にいる人に宛てて詠んだ歌だということがわかります。『源氏物語』の「須磨」とたいへんよく似た状況です。

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